浅田真央の母親である浅田匡子さんの生い立ちをご紹介します。
ホステスだったことでも知られる浅田匡子さんが亡くなったのは2011年のことでしたね。
日本、だけでなく世界が浅田真央に注目をしていた時期でのことでしたので、大きなニュースになりました。
それでは、早速本題に入っていきましょう
この記事の目次
浅田真央の母親の貴重映像公開
こちらが、母、浅田匡子さんの生前に取られた貴重な映像です。
Youtubeより
【浅田真央母匡子さん生前の映像】
見るからに優しそうな母親ですね。車内も楽しそうにしていて、見ていてなんだかとてもつらい気持ちになりました。
ちなみに、この映像は2005年の12月に放送されたものです。
よって、此の当時の浅田真央の年齢は14歳です。13年前ですね。
浅田真央の母親、浅田匡子の生い立ち
調べに調べまくったのですが、浅田匡子の詳しい生い立ちは、見つけることができませんでした。
しかし、生い立ちにに関して分かる範囲で書いていきたいと思います。
浅田匡子の家庭は決して裕福とはいえなかった。そんな両親の元育てられた匡子は父親、母親、姉との4人ぐらしをしていたのだが、12歳の時に父がなくなってしまい、その8年後、匡子が二十歳の時に母までもが他界していまった。
お金もなく、生活していくために、匡子は夜の世界へ足を踏み入れたホステス(水商売)をやり、必至に稼ぐ毎日。
ある日、その後夫になる、ナンバーワンホストと出逢い、交際に発展。
デキちゃった結婚で浅田真央の姉を出産。その後浅田真央も生まれ4人家族に。
真央がスケートを5歳から始めると、スケートの才能が開花し様々な大会へ出場してはメダルを獲得していった。
そんな真央を放課後スケートリンクへ送り迎えするのが日課となる。
時には、名古屋から横浜まで車で往復8時間かけて練習に行っていたとか。
ある日、体調を崩し、病院に向った匡子。診断の結果は肝硬変。
様態はあまり良くなかった。
そして、メディアにも頻繁に出るほどに成長した真央が、カナダにグランプリファイナルの為に滞在しているときのことだった。
様態が悪化し、娘に看取られることなく他界。
48年間と決して長いとは言えな生涯に幕を下ろした。
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